山本夏彦翁が亡くなられたのは、平成14年10月23日だったので、それから12回目の秋を迎えた。俗にいう13回忌である。しみじみと月日の経つのは早いものだと感慨もひとしおである。その年に生まれた子が立派な中学生となる年輪を重ねたのだから決して短いものではない。
「山本夏彦翁とは誰?」、十年一昔と言うように若い世代では知らない人も多くなってきているのだろう。だが、山本夏彦翁といえば、真っ先に浮かぶのは「週刊新潮」の「夏彦写真コラム」か、文藝春秋の今は休刊となっている「諸君!」の巻末コラム「笑わぬでもなし」である。それらの出版社は、今話題の朝日新聞とは相容れぬ仲であり、時代が大きく廻っているのを実感させられる。
その文藝春秋−週刊文春・臨時増刊の『文藝春秋が報じた「失敗の本質」「朝日新聞」は日本に必要か』の「編集後記」は次のように始まる。
『 かって山本夏彦は、こう書きました。
<朝鮮人慰安婦のことを思えば夜もねられぬというたぐいの記事が、ある時期毎日のように出た。ことに朝日新聞に出た。四十なん年枕を高くして寝ていたのに急に眠れなくなったのである。新聞はその声を集めてずいぶん嬉しそうである。良心と正義を売物にするのは最も恥ずべきことだと知らないのである。>
山本翁が今の朝日のあり様を見たら、どんな文章を世に出したのでしょうか―。』
右とか左ではなく、また、辛口とか辛辣だけでは言い表せないのは当然として、苦い嗤いや卓越した機知を秘めたコラムを越える者は、12回の秋を迎えても現れなかったと言わざるを得ないのだろう。
そうして、同じく「編集後記」は締めの前にこう記す。
『<私は断言する。新聞は次に来たるべき国難に際して再び三たび国民をあやまってあらぬところへつれ去るだろう。>
山本翁がそう看破したのは平成元(1989)年のこと。いままさにその言葉が真に迫ります。』
山本夏彦さんは、古くて新しいコラムニストである。時間の波に揉まれても色褪せない箴言は時代を超えて読まれ続けて欲しいものだと思うと共に、柿の木の枯葉が音も無く落ちるのを眺めながら、人の生死も漠然と身に染みてもの悲しげな秋を過ごした。