今日のTBS系TVの「噂の!東京マガジン」で、新旧の橋が落ち住民が困っている浜松市を特集していた。この事故では同市の職員二人が殉職するという悲劇も生んでいる。地元の新聞社の地方記者も、事故直前までその橋の上で取材していたが危険を察知して命からがらに戻った瞬間に崩れ落ちたと新聞で読んだ。

その旧橋は国道473号の天竜川に架かる吊り橋の原田橋で、新しい橋はその原田橋が老朽化したために掛け替え工事中であった。墜ちた橋の上流約2kmには全国でも有数の貯水量を誇る巨大な佐久間ダムがある。その佐久間湖は静岡県、愛知県、長野県の3県にまたがっていると聞けば位置関係がイメージできるだろうか。だが、そのことを知らなければそんな雰囲気は全く感じさせることもなく、そこは川幅が狭く橋を渡すには好都合な場所で、直ぐ下流で合流する大千瀬川の方が河川敷が広いので奇妙な感覚に陥る不思議空間で、浜松市と合併する前は佐久間町である。

もう一つの劣化により大きく傾き危険であると撤去された橋は、人しか歩くことができない小さな吊り橋である。それは、車が通行できるほど頑丈な造りや大きさでないということであり、朽ちなければ猿や猪が渡ることも全然支障はなかっただろう。そんな状態の橋を取り壊すことは仕方がないとしても、その代替路は水窪川の川底の飛び石で大きな石を5、6個並べただけのものだから増水したら当然渡れない。見事にそれだけでお終いなのは流石としか言いようがなく、そこは旧水窪町である。平成の大合併で共に浜松市となったのだが、市全体からみたら北側に位置し限界集落が点在する山間地で心落ち着くのどかで鄙びた地域である。

中小の市町村は合併しなければ生き残れないと脅かされるようにして政令指定都市となってみたけれど、それは名ばかりである。寂れる速度を少しでも緩やかにしたいと願い大樹に寄り添ってみたけれど、その陰はより濃く暗かったことは儚い現実であろう。以前の町の賑わいの中心は町役場付近で、それが今では市の一出先機関で、そこは目の届きにくい緑深き北端である。

そんな嘆きを嘆いても、元に戻ることはできない。国道の橋を掛け替えることも声の小さい町ではいつになっていたかも分からない。小さい町のまま駅近くの歩道吊り橋を存続させる予算が確保できたのかは分からない。しかし、役場であれば地元の職員が「おらが町の大事な橋」と懸命に諦めることなく取り組んだだろう。だから見捨てられ益々廃れていくという疎外感の受け止めかたは随分と違うものになっていたに違いない。

この、にっちもさっちもは10年先20年先の日本全体のにっちもさっちもとしてはならないが、その処方箋は探し出せるのだろうか。
posted by 工房藤棚 at 19:37
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