2015年06月07日

祈り、悲しみ、怒り、あるいは、慈しみ−阿修羅像によせて。

 
 美術にも芸術にも疎いが、理屈抜きで惹かれるものがある。その中でも奈良・興福寺の阿修羅像は飛び抜けた存在である。

阿修羅像1
 現在は興福寺・国宝館に安置されていて、その三面六臂の特異な姿は現在の日本で一番愛される仏像であろう。

阿修羅像2
 穏やかで、憂いを秘め、華奢で筋肉を削ぎ落とした仏高は153cmというからほぼ人間と同じである。

阿修羅像3
 阿修羅とはインドの神話では悪霊鬼神であり、闘争を好む悪神であったが、釈迦の教えにより仏教の守護神となり、天竜八部衆の一尊に加わったとされる。

阿修羅像4
 正面は、わずかに眉をひそめて慈悲深く敬虔に祈り、そこには強い意志が窺える。

阿修羅像5
 向かって右面は、願いや忍ぶ心で静かである。

阿修羅像6
 左面は、怒りか。厳しく目は少し吊り上がり、唇をかみしめる。

阿修羅像7
 キャスト ヴォルテックス(CAST VORTEX)が阿修羅像のイメージから着想した動きと形状であるのは作者のAkioYamamoto氏が述べていて、妙に納得しなおさら愛着が深まったのを覚えている。

阿修羅像8
 神秘的な趣と三つの顔と六本の腕ながら絶妙なつりあいに魅入られ、できることなら小さな阿修羅像を手に入れたいと願ってきたが、それが晴れて実現した。一目観た瞬間に決めた。

イSム_TanaCOCORO
 それはイSム(イスム)のTanaCOCORO〔掌〕シリーズで、仏高は177mmなので当然十分小さいものである。だが、それが却って身近に飾っておくには丁度良い大きさである。イSムの本気さは勿論のこと志と技術の高さが上の写真から伝われば本望である。
 

posted by 工房藤棚 at 12:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年06月05日

なんでも「旨い」「美味しい」の軽薄と驕り。

 
 テレビの食べ物の番組で連発される「旨い」。
 何を食べても「美味しい」。

薔薇1
 昔、貧乏人でも手を出さなかった食い物が、今、芸人曰く「うまい!」。
 昨日はあんなにも小さな生サクラエビを一匹口に入れた瞬間「こんなオイシイものは初めてです」ときた。

薔薇2
 次は決まって「甘い」が続き「柔らかい」と驚く。食い散らかした丼の底を映して完食と喚き、あるいは、あれ程褒めた料理を大量に残して店を後にする。

薔薇3
 その語彙の貧困と軽薄さは、楽しさとか驚きとか新鮮さとか、まして喜びや感激や感動は全く伝わらない。それは独創とは無縁であり虚ろで上手くない。
 

posted by 工房藤棚 at 20:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年06月03日

起こるべくして起きた問題。

 
 日本年金機構が、サイバー攻撃を受け約125万件の年金情報が流出して問題になっている。だが、それも全て人災であり緩んでいるとどんなことでも起きることを如実に示していて虚しい。

緑の道
 機構が最初にウイルス感染を把握してから大量のデータ流出に気付くまで20日もかかる間抜けぶりは流石で、悲しい面目躍如である。

秋葉神社より
 旧社会保険庁時代から続く危機感の薄い組織の体質は健在と云うことで、報道によると厚生労働省の審議会委員でジャーナリストの岩瀬達哉氏は「組織の体質は変わっておらず、緊張感や責任感が欠けている。起こるべくして起きた問題だ」と話したそうだ。

秋葉神社上社
 流出したデータ数が発表されているが当てにならないのは当然である。下手をしたら一桁違うだろう。そうして、これに類する詐欺事件が多発するのは火を見るより明らかである。世間知らずの年寄りに自ら絶妙な餌を撒いた罪は深く不快である。

秋葉神社門
 何故か、民主党の細野政調会長は「極めて深刻な事態だ。安倍晋三政権が年金問題をぞんざいに扱ってきた証拠」と批判したらしいが、その感性の硬直ぶりが辛い。ミスター年金と呼ばれた同党の長妻氏が、改革すると意気込んで乗り込んだにも関わらず、残したのは空しさだけだったのは、まだ皆の記憶に新しいというのに。

秋葉神社門竜
 それにしても、人生の先輩である老人の生活の支えの年金を管理する組織が取り返しのつかない不祥事を起こした時、識者に「起こるべくして起きた問題」と揶揄される情けなさや危機管理の欠如は尋常ではないだろう。それは本来は公僕であるべき者達が抱える根本的な病理であろうが、安楽な太平がいつまでも続く保証はどこにも一切ない。
 

posted by 工房藤棚 at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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