広島県の町立中学校で中学3年生が自殺した事件は、教員や公務員の緊張感の欠如が露わになり、遺族の悔しさと怒り、やり切れなさを想うと切なくて虚しい。死という究極の抗議が一時は闇に葬む去られようとしていた。
今、報道されているのは学校側からの情報である。それでも言語道断のレベルであるから、実際の現場は凄まじいことになっていたのだろう。大体、面談が廊下の立ち話である。「万引き」の有無を立ち話でする無頓着、無責任、無自覚、無気力、無能が今教育の世界では普通で悲しい実態か。
彼の無念の死は昨年の12月である。自殺について伏せていたのは「同級生の動揺を避けてほしいと遺族から要望があった」も勝手な解釈であろう。それから、随分と非礼を尽くしたのだろう。死人には口がないことにつけ込んで。
せめて担当教諭をはじめ関係者の面を晒し、言い訳なり謝罪なり己(おのれ)の言葉で自己都合の理屈を説明させよう。我々は、自分の教え子が自死したというのに他人事で凡庸な表情に衝撃を受け腰を抜かすだろう。