2008年08月23日

それは衣です。

 手書きの漢字で、本人は全く意識していないが、間違っている時は本当に困る。それを指摘するのが、必ずしも親切とはならない状況はいくらでもあるからである。
 活字の場合は、誤字脱字が問題となるが、手書きの間違いは、そもそも、そんな漢字はありません!となってしまう。

 例えば「薔薇」という漢字を書いて下さいと言われたら、「書けません」で問題ない。それなら「檸檬」はと問われたら、大体雰囲気は分かるだろうが、正確に書けなくても別にどうってことは無い。やはり「憂鬱」は無理ですよねに、「当然です」でもかまわない。

 しかし、当人も吃驚の間違いがある。昨日のテレビでも、ある著名人がフリップに書いた「初心」の「初」が、示偏(しめすへん)に刀となっていた。生憎それは衣です。

            初
  
 いくら、手書きのフリップといえど、事前にチェックしているだろから、スタッフを含め少し恥かしい。また、気を付けて見ていると、プロが書いた看板にも点が足りなくて、てんでなってないものがある。
 漢字検定では当然×。そして、漢字検定では、とめ、はね、はらいの判定は、かなり厳密なのである。

 その他の衣偏(ころもへん)では「補う」の「補」や、「被る」の「被」。また、「複」「襟」「裸」や「袖」「裾」もある。すべて、衣裳からの発想である。ただし、「初」の部首は「刀」となるから、ややこしい。

 また、示偏は、「祝」「祈」「福」「礼」など「神」に由来する漢字が殆どであり、衣偏と示偏は成り立ちが全く違い、たまたま似ているだけであり、そのイメージの違いを覚えたら、間違いは防げる。
 
 だが、大人になると、間違いを指摘してくれる人が少なくなるので余計に厄介である。ある時に、仕事の上のことなので注意したら、本人は動揺を隠せない程に驚いた。衣偏自体を知らなかったからである。しかし、一言「漢字だから、感じでいいや」。

posted by 工房藤棚 at 21:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 漢字検定
この記事へのコメント
深刻な問題ですね。
色々な理由が挙げられます。
国語教育の問題
PCなどのITの発達により手書きの習慣がなくなったこと等々

なかった昔に帰ることはできないのでしょうが、
せめて国家100年の計である教育はこれからでも間に合うのではと思います。小中学校でしっかりと教えないと知らないのが当たり前になります。知らない事が恥ずかしいことではなくなってきたという現象が不気味です。

私は我子に英語とITリテラシーの必要を耳タコで語り続けてきました。
自分自身も生涯学習のつもりで両方の学習を続けています。
しかし、それでもやはり自国語を磨くことを忘れてはならないと思っています。

「邯鄲の歩み」の故事を忘れないようにしたいと思います。
Posted by arara at 2008年08月26日 09:05
 araraさん、コメントありがとうございます。

 araraさんにではなく、もし間違ってでもこれを読んで下さる方に捧げる言葉。

藤原正彦著、「国家の品格」より。
昭和18年、フランスの詩人ポール・クローデルの言葉。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」。
 ちなみに、「邯鄲の歩み」は「かんたんのあゆみ」。 
Posted by 工房藤棚 at 2008年08月26日 21:07
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