先日、定食屋で食事していたら気になることを発見した。
そこは、自分が食べたい料理が乗っている皿を適当に選び、後は白飯の丼の量と御御御付(おみおつけ−味噌汁の丁寧な言い方)を頼んで、目隠しはあるのだが、向かい合った長いテーブルで食事するスタイルである。
中年の男性が、ご飯の丼を置いたまま箸で掬って食べているのである。御御御付も同じで、中の具を食べるにもお椀を持たないで掬って食べるのである。しかし、食べにくいのか、時おり顔をお椀に近づけて食べている。左手は当然のように机の上にのせているのだが、全く使う素振りを見せない。
何か事情があるのだろうと察したのだが、食事も終わりに近づくと、ご飯の丼を持って食べ始めた。御御御付のお椀も持って飲み干した。何の事情もなかったのである。
そんな!と周りを見渡したら、ご飯の丼を机の上に置いたまま食べている人は結構いるのである。何なんだろう。
食事といえば、箸の持ち方が変なのも気になるものである。テレビの食事番組でさえ、変な箸の持ち方をして、平気でいるのだから、気にならない人も多数いるということなのだろうか。
しかし、自分の彼女(または彼)が変な箸の使い手であったら、百年の恋も興醒めで、指摘してあげたほうが本人の為であると思うのだが。
食事のできる喫茶店で、食事をしながら一心不乱に漫画単行本を読みふけり、料理は口に入れるだけの行儀悪さも、どうにかならないかと思う風景である。
もう定年間際だろうと思われる白髪の人が、そんなことをしていると、そんなに夢中になれる漫画があっていいねと、逆に感心してしまう。
これは別の所でも紹介しているのだが、『台所空間学』という本の「いまは昔の食の風景」での我が山本夏彦翁の発言である。
『ご亭主は曲りなりにも母親の作ったものを食べて育った若者だとします。細君はパックで育った娘だとします。ですから細君はそもそも自らあやしんでなんかいないのです。新婚早々の食卓に発泡スチロールの「舟」にのった刺身をそのまま出して恥じない。見れば、そのまま出せるようにできているんですからね。その上から彼女はじかにおしたじをかけるんです。こっちは畳人間、あっちはスチロール人間。びっくりしても、男は言わないことがある。こんなこと軽率には言えませんよ。おまえのうちでは親たちがそうしていたのかと細君を非難することが、一族を敵に回すことになる。言ったってわかるわけじゃない。向こうに不作法のつもりがない。』
議論なんてないってことですね・・。
それが年齢に関係ないとは、夏彦翁の感覚のすばらしさっ!!!
生活の習慣や癖って怖いですよね。
お里には「食事マナー」などと言うものが存在しなかったのでしょうか?
犬食いも注意されずに育ったのでしょう。
本人だけの問題ではなく、周囲のテーブルで食事している方の食欲もそぎかねないですね。
不作法のつもりがないのが問題です。
私は、食べ方、話し方、歩き方が気になります。
本当に、わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない世界はありますよね。
今後も、あまり偉そうなことは書きたくないのですが、山本夏彦さんの言葉は色々な機会を見つけて紹介したいと思います。
「だったら、お前は!」と言われそうなのですが、まあ、大人なので少しでも良い方向を目指して歩いていくしかありません。