2008年10月01日

投げた行方は誰も知らない。

 経済のことは詳しくはないが、最近興味を惹かれた記事から。

 9月30日の新聞「直言・現場から−金融商品の怖さ」より。
 『「元本割れの確率は20%。安心ですよ」
 「その20%というのはどういう根拠ですか」
 「組み込んだ株式の過去十年のトレンドを独自の数式で解析したものですから大丈夫です」

 今年の夏に投資信託を売りに来た証券会社営業マンとの会話だ。買うつもりはなかったが、やりとりをして驚いた。説明が説明になっていなかったからだ。「過去十年のトレンド」と「独自の数式で解析」がなぜ「大丈夫」につながるのか。

 政府は経済活性化のために「貯蓄から投資へ」をスローガンに据えている。しかし、金融市場には個人が安心して投資できる基盤が整備されていない。営業マンの知識だけではない。米金融危機を見ると、個人マネーをリスクにさらすことを政府が奨励していい状況なのかと考えてしまう。』

 アメリカ人の住宅ローンの不始末を、遙か遠い日本人が心配しなければならない時代であり、この難しい時に深い知識もなく、余裕の資金でもない物を武器に、突撃するのは無茶である。

   水面

 「週刊文春」(10月2日号)に『奥田英朗[特別寄稿]「わがマネー敗戦」』が掲載されていて面白い。それは文中にある「他人の不幸は蜜の味」という意味ではなく、筆者と証券会社との会話に臨場感があり飽かせない。

 話題の「ラップ口座」とは、顧客が期待する利回りやリスクなどを伝えた上で、証券会社が日々の運用にあたる一任投資のことらしく、その投資額五千万円の顛末記である。

 『運用開始時に株価が急降下し一万四千円台に下落した時の担当者「先生、今が底値です。一千万でも二千万でも追加増資しませんか」

 マイナス六百万円到達時の担当者の言葉「これは特別です。今は何十年に一度という混乱期なんです」

 筆者が不動産を取得し解約を希望すると「先生、今解約されますと損益が確定してしまいます」

 マイナス三百万円に戻し解約を考えた時「長く持っていただく商品ですので、なにとぞご愛顧を」
 同行の上司は「どこかの証券マンの寝言と思って聞いていただいて結構ですけどね、株価は年末には二万円台に乗ります」

 マイナス八百五十万円になると、銀行の支店長がやってきて「先生、短気を起こして解約などなさらないように。この数字が最低ラインですからよく憶えておいてください」』

 その結果は、九月十九日現在でマイナス一千百二十万円であり、一年で約二十二%減。まだまだ、下がる可能性は十分高いだろうし、怖くもあり危なくもありなのだ。

 現在、貯蓄では金利は殆どつかないが、マイナスにはならない。しかし、零細な預金口座から口座手数料を徴収するようになるのは、そう遠い将来ではないだろう。
 だが、完全な元本保証の投資信託はない(と思う)。もし、それを望むなら別途莫大な口座維持料が必要であろうし、それが証券会社社員の高額な給料に消えていくのである。

 その投資が、結果的にリスクは背負って、証券会社を儲けさせる為だけになっていないだろうか。「どか儲けすればどか損する」を肝に銘じなければならない。

posted by 工房藤棚 at 23:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
タイトル絶妙。タイトル作家誕生。
写真も意味深。目指すは写真コラムか?

SNSにも載せては如何でしょうか?

株屋の巨大化は国を滅ぼすということを誰かもっと言っていただけないでしょうかね。

かつて商社が「千載一遇のチャンス」と言ってトイレットペーパ以下一連の生活必需品の品不足を演出し国民の顰蹙を買ったにも拘らず、就職戦線では上位の座を譲らないのは、人は倫理ではなく利で動く者という証拠なのですよね。

株屋も同じこと。言葉巧みに人の金を集め損をしても説明済みと涼しい顔。利に走る客が阿保なだけ。
株屋の法人格を許さず、個人事業としてしか営業させないと言うのは如何でしょうか?
株屋がどれだけ巨大化しても経済団体の長にはならない(なれない)のは自らに後ろ暗いところがあるのを承知しているからだと、誰かが言っていたような気がします。

昔大学時代にある先生が株は所詮ウソの経済、経済はウソを次から次へと上手に生み出して、生み出した側もウソを真実と思い込み大きくなって行く。他の例に広告がある云々。

Posted by arara at 2008年10月02日 09:03
 araraさん、コメントありがとうございます。

 本当の話、虚は虚であり、実は実であることを、旨く語る人がいなくなってしまったのは残念です。

 実の世界で、汗水を流し、倹約をし、言いたくもないお世辞まで言って稼いだ大切な現実のお金が、虚の世界に紛れ、騙され、意味もなく失われていくのは虚しいのです。

 虚の世界で稼いだお金も、血と汗と涙の結晶のお金も、お金はお金ですが、昔の人は、その違いを本能的に嗅ぎ分けて、わきまえていた節があると思います。

 その違いは、一体なんなのでしょうか?。
Posted by 工房藤棚 at 2008年10月02日 22:06
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