我が(心の)師 山本夏彦翁が亡くなられて、6年が経ちます。今日がご命日です。
しかし、その「山本夏彦翁って人は誰」が普通になってしまいました。その「我が師って、どういうこと」も当然の疑問となってしまいました。
いつまでも、いつまでも、その山本さんとやらに拘る訳が分からんとも云われますが、それも不思議ではなくなりつつあります。
それから、山本夏彦翁が創立し育てた工作社発行で、一時代を築いたインテリア雑誌「室内」が廃刊となったのも、平成18年2月ですので2年以上が経ちました。
それは、山本夏彦翁が亡くなられてから、御子息の山本伊吾さんが引き継いでいたのですが、時代の流れには逆らえません。
しかも、その出版社である工作社のホームページも、今ではリンク切れとなってしまいました。残念ですが、これも浮き世の常です。
その山本夏彦翁には、沢山の著書があるのですが、今「Amazon.co.jp」で新品で購入できる本は20冊を数えなくなってしまいました。
余り長い引用は、引用ではなくなるのですが、今日だけはご勘弁していただけるのではと勝手に解釈して、山本夏彦翁の2文を紹介します。

これは、今でも購入できる『「夏彦の写真コラム」傑作選1』藤原正彦編:新潮文庫からです。
「秋の夜ながなくなる」:P219
『(略)
私はテレビぎらいというよりほとんど憎んでいる。あんなもん百害あって一利がない、ないほうがいいと思っているが、出来たものは出来ない昔にかえらぬこともよく承知している。
三十年前、当時四十代の主婦にテレビのない夜はどうしていたかと聞いたら、しばらく黙って考えたあげく「退屈していた」と答えた。その婦人はテレビのない時代に生れ、テレビのない時代に結婚した人である。
秋の夜ながは肩させ裾させと鳴く虫の音を聞いて過したはずである。そもそも存在しないものが、存在しないからといって退屈するはずがないのに、ここでも十年ひと昔である。やんぬるかなと以後私は問わなくなった。
テレビの問題は実は住宅の問題なのである。欧米には最も遠い居心地の悪い部屋にテレビを置く国がある。よほどの番組でなければ見に行かないから、昔ながらの家族の団欒がある。わが国では茶の間以外に置く場所がないからこのていらくである。
(略)』

次も同書からであり、かなり長いのですが、短く切ってしまっては面白さが伝わりません。
「おーいどこ行くの」:P237
『(略)
いっぽう橋の下でひとり住むのがいる。別派である。橋の下は雨の日でも茶色に乾いている。柱は風よけになる。そこへ古畳を敷いて段ボールでかこって、冬は何枚もの毛布で脚をくるんでいる。
毛布は新品同様で色とりどりである。このごろはたいていのものが捨ててある。集めれば小綺麗なくらしができるが、むろん電気がないから日がくれれば寝て朝がくるとおきる。
橋の上を歩んで出勤する男のひとりは折々ながめて、ここに一切の繋縛からまぬかれた自由人を見る思いをする。ここには橋の上にある時間がない。会いに来る人がない。訪ねる人もない。苛政は虎よりも恐ろしいというが、おお何より税金がない。
寒い時は昼もねむっている。ねむっているのかと見ると目ざめている。夏になれば沐浴するのかもしれないが、ひそかにするらしく見たことがない。
いま時は春である。日はあしたである。その朝遅く橋を渡ったら、初老のその男はなに思いけむ、橋のうえの男女にむかって、
―おーい、どこ行くの。
と呼びかけた。道行く人はびくりとしたが、ふりむくものはなかった。そのまま足ばやに去った。思えば私たちに何の答える言葉があろう。』

「違うだろう!」でも、「怪しい」でも、「知らなかった」でも、少しでも、気になり掴まれるものがあったら、一冊通して読んでみて下さい。
始めにお勧めは「日常茶飯事」「茶の間の正義・改版」「変痴気論・改版」「毒言独語・改版」「編集兼発行人・改版」などの文庫本です。
そして、それは1960年代から1970年代の作品です。随分と古いものですが、古さが気になるものは多くありません。
一冊通して読んで、「やはり違う!」「やはり怪しい」であろうとも、その体験は決して無駄とはならないと信じます。
日本の世相を斬って目から鱗の感がありますね
辛口でも温かさも感じます
取り寄せてみましょう
月まで3km
山本夏彦さんのイタズラみたいです
にぃにぃさん、コメントありがとうございます。
色々と気を遣って頂き感謝致します。
実は、大分前の話ですが、山本夏彦さんの本を冷静に、増して面白がって読める女の人は、愛嬌があり楽しいとよく云われると聞いて、さもありなん!と納得した覚えがあります。
別に、男も女もないと思うのですが。