2009年10月12日

まともな人。

 「まともな人」@養老孟司―中公新書より。

 「テロリズム自作自演」
 『 テロはもういい。私がいちばん知りたいことはなにか。現代の日本人が本当に望んでいることはなにか、それである。
 他人の気持ちを推し量ってなにかしようとすること、そんなことに興味はないし、聞き飽きた。あなたは本当はどうありたいのか。そこが聞きたい。やむをえないから働くしかない。そんなことではない。一度しかない一生を、どう生きたいのか。そのホンネが聞きたいのである。』

 「まともな人」
 『 人生の意味を問うというのは、若者たちの特権というわけではない。青臭い疑問というわけでもない。私はそう思う。それは高齢になってもひたすら問わなければならない、大切な問題であろう。それでなければ、何十年も辛抱して生きてきた甲斐がない。それに正解があるなどと、私は思っていない。しかし年寄りが若者に答えるとしたら、そういうことしかないではないか。まさかいまさらパソコンの正しい使い方を、若者に教えられると思っているわけではあるまい。』 

 「部族としての日本人」
 『 死者を共同体から排除することが正当か不当か、それこそ抽象的な議論であろう。死者に鞭打ち墓を暴く。それを日本人は嫌う。それははたして部族性か。それがいやだから、われわれの祖先の一部は中国を出て、日本という辺境に引っ越したのかもしれないのである。』

 「「親の責任」と乱暴に決めつけるな」
 *二00三年七月、長崎で起きた幼児誘拐殺人事件が十二歳の少年による犯行であったことを受け、当時の防災担当相が記者会見で「まず親の責任だ。親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」と発言した件の論評。
 『子どもはウルサイけれど、この貧乏国には、資源といえば、それしかないんですよ。「銀も金も玉も何せむに」という気持ちなど、もはやどこを押しても出てこないのであろう。それなら「引き回しのうえ、打ち首」でよろしい。ただしその対象は、日本国の大人全員であろう。自分だけは別だとよく思えるなあ。自分の子どもはずいぶん立派に育っているんだろうなあ。それが今回の発言への私の感想である。』

淀まぬもの。
 
 我が山本夏彦翁には無い、真っ当過ぎる真っ当さが新鮮であり、今の日本が置き忘れてきてしまったものを、真摯に指摘する姿勢に大いに共感し、姿勢を正したい。

posted by 工房藤棚 at 00:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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