「未必の故意」という法律用語がある。
明鏡国語辞典によると
『法律で、罪を犯すことを積極的に意図するものではないが、自分の行為によって実害が発生するかも知れないと思い、また、発生してもかまわないと認識してその行為に及ぶ場合の心理状態をいう』とある。
原発の核燃料が一部溶ける炉心溶融という深刻な事態が、電源の喪失で起きる可能性があることを、東京電力福島第一原発の事故前に、政府が認めていたことが、4月3日までに分かったそうである。
新聞によると『昨年5月の衆院経済産業委員会。経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「小さい確率の事態が全部実現」すると、電気が供給できなくなって冷却機能が失われ「炉心溶融につながることは論理的には考え得る」とした。』とあるが、「小さな確率の事態が全部実現」したわけではなく、「大きな津波」が襲ったらこの醜態である。
東京電力は凄い企業である。責任者は事故後、一度だけ記者会見を行ったら雲隠れして、最後は緊急入院である。
ここまで非常事態に弱い責任者は流石に希だと思うが、実際に平時には責任者として漂っていた。
逆に言えば、東京電力とは『東電は「(すべての電源の)喪失は想定できるが、そこに至る前に多重防護(での対応が)可能と考えていた」とし、いずれも電源喪失の恐れを認識したにもかかわらず危機意識が薄かった。』レベルの会社だったからこそであろう。
しかし、その「多重防護」とは一体何を指しているのだろうか。
世間では、何十の防護設備でも、それが一つの原因で同じように損害を受けるものは、多重とは呼ばない。
日本は政治家は三流だが、民間は一流だと嘯いていたのは誰だ。政治家だけ三流で、官僚が二流で、民間は一流なんて、あるわけがないじゃないか。
現在、1シーベルト/時以上の放射線汚染水が約10トン/時、海に流れ出していると報道されている。
海は、広くて、大きいから希釈されて大丈夫だと言ったり考えている人がいるようだが、「生物濃縮・食物連鎖」という事実を知っているのだろうか。
それより何より、世界中から爪弾きされる恐れがある。太平洋では運命共同体のアメリカ合衆国が、何時までも真摯な紳士でいてくれる保証は全くない。
その前に、その漏水しているピットにある水の表面付近の放射線量は1シーベルト/時以上であって、1シーベルト/時ではない。それは10シーベルト/時なのか30シーベルト/時なのかは報道ではわからない。公式発表では1シーベルト/時以上を計る計測器がないからだそうだ。
実は、当然1シーベルト/時以上を測定する物はあるのだが、人間がそれを計るためには、その地点にある程度留まることが必要なので、もうそれさえ困難な状態というのだろうか。
念のため1シーベルト/時とは、1,000ミリシーベルト/時であり、1,000,000マイクロシーベルト/時である。1,000,000は100万である。
事故直後に報道されたのは、800マイクロシーベルト/時とかのマイクロのオーダーであり、それがミリとなり、現在は実はもうミリとかを使う必要のないレベルである可能性も考えられる。
今でも、東京電力が償わなければならない損害賠償は見当もつかない額となっているだろう。ただ、この見通しのつかない現在進行形の未曾有の危機は、今後どうなるのか誰にも分からない。それは「神のみ知る」のであり、神様が匙を投げないように祈るのみである。
一体、日本の電力会社は原子力発電でどれだけ稼いだものだろう。信用を築くのには、何年も何十年も必要だが、それを失うことは一瞬であることを痛感する。
問題は東京電力の損害賠償だけではない。永遠に使うことができる物はないのだから、原子炉の廃炉も現実となってくる。その費用が、また一般人が聞いたら腰を抜かすほどの金額である。
費用はまだよい。金を用意すれば済む話だから。ただ、もうその費用を工面することも税金を頼りにするのだろうな。
それ以上に、その廃棄物を処理する施設も廃棄する場所もないことは、どうするつもりなのだろうか。
「想像力不足でした」で済む話ではない。今回の事故が、どのように終息するかは知らない。だが、今後、どんな形であろうとも、国内で原子力関連の廃棄物を喜んで引き受ける所が見つかるとは考えられない。
何故なら、例のNUMO(原子力発電環境整備機構)が、常識外れの額と手法を使っての広告や啓発をしても、それを引き受けると手を挙げた自治体はなかった。それは高レベル放射性廃棄物で「原子力発電で使われた燃料(使用済燃料)を再処理した後に残る放射性レベルの高い廃液をガラス原料と溶かし合わせ、ステンレス製の容器の中でゆっくり固めた物」でさえそうである。
使用済みの核燃料は順次発生するが、その処理と廃棄ができなかったらどうしたらいいのだろう。
そこに頭の良い人がいた。次世代に任せよう!。科学は進歩し続けるから、放射線を生物には無害にすることは、そう遠い将来のことではないだろう。……嗚呼!。
実は旧ソ連邦のチェルノブイリ原発事故の石棺も同じ発想で、もう時間が追いついてきてしまった。25年なんて、プルトニウムの半減期から見たら一瞬だ。
しかし、それしかできなかったら、そうするしかないのも現実である。だから、今成すべきことは、隔離した場所に安全に保管しておくことだ。
現在、使用済み核燃料は何処に保存してあるか、ご存知ですか。そうです。原子力発電所の敷地内です。それであれば、輸送する必要がないから一番簡単である。
だが、福島第一原子力発電所内で、使用済み核燃料が冷却プールで冷やされているなんて、大事になるまで、誰も一言も言わなかった。それは、保管庫に保管してある使用済み核燃料とはまた別物である。
それより、一号機の建屋が水素爆発した時「建屋の屋上は、こういう時のため簡単に壊れるように造ってあるのです。屋根なんて、むしろ邪魔です」と言い放った原子力の専門家という奴がいた。
確かに一号機の建屋の残骸は、そのようにも見えた。
原子炉を格納する物は厳重に造られ、建物もミサイル攻撃にも耐えうる頑丈なものだと随分前から聞いていたので意外であったが、そのようにも見えないこともないから安心しようとした。
ただ、原子力の専門家と呼ばれる輩も、原子力発電所の現場には詳しくないのだけは察しられ、背中に薄ら寒いものを感じた。
続いて、三号機の建屋でも、水素が漏れていることが分かってきた。やはり水素爆発は避けなければならないだろうから、簡単に作ってある屋根から逃がす対策をするだろうなと思っていたら仰天の大爆発である。
一号棟の比ではなかった。これには関係者も肝を冷やしただろう。そう、水蒸気爆発さえ連想させる威力だったから。どんな素人でも非常事態が進行していることを実感するに充分な映像だったから。
日本のテレビの報道では、音声はカットされていたが、実際は尋常ではない爆発音が3回も響いていた。
直後には行方不明者が何人も出て、負傷者は数人もいた。あの大爆発を観て「嗚呼、偽者だらけだ!」とひどく落ち込んだ。
何が「簡単に壊れる」だ。知らなかったら知らぬと言え。
それより、一番納得できなかったのは、その事実をほぼ知っていながら、その建屋で点検員や自衛隊を作業させていたことだ。東電の社員だけではない。自衛隊員まで負傷している。どんな非常時であろうとも、人は人であって決して物ではない。
これでは、自分の身体は自分で守るしかなくなる。例の言い回しなら「爆発するまでは安全です」か。
東京電力には、もう当事者能力はない。賠償金を払う意欲も資金もないのだろう。
そこに、福島第一原発には、昨年から保険をかけていなかったというニュースがあった。真偽は知らないが、余りにも高額な保険金により保険に入るのを躊躇った結果だという。
それが本当なら、保険会社は真っ当だが、電力会社は本物の阿呆である。
保険会社の評価さえも、真摯に受け止める謙虚さも失っていたというのだろうか。それは「今の利益のためには、いざとなったら成るように成れ!」ということか。
今後、東京電力が使う金は実質的には税金である。であれば、より監視しなければならない。
原子炉建屋を特殊シートで遮蔽するという。
『原子力専門家は「放射能物質の拡散を抑える効果は限定的で、リスクの方が大きい」と反対』されている代物を『1〜4号機すべてで実行した場合、1〜2ヵ月の工期で費用は約800億円と見積もられている』金をかけて行おうとしている。
ここまできても、格好だけに配慮して、とにかく隠したいと考えているとしか理解できない。
許される時間は永くはない。そんなことさえ実感できない状態なのか。
この坂は、マサカの坂ではない。
だが、事の軽重の判断は完全に狂っている。
本人も自分には荷が重過ぎるのは痛いほど身に染みている。誰か救ってやってくれ。
疫病神には「疫病神は去れ」と言ってくれ。
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