2011年07月04日

無用な不安はお捨てなさい。

 
 新潮新書の「復興の精神」は、東日本大震災の3月11日以降を生きる杖として、9人の視点で、これからをどう考えるかと出版されたものだが、橋本 治氏の「無用な不安はお捨てなさい」が平易だが、しっくりときた。

花


 千年に一度の地震の規模や大津波と言われているのだから、冷静に対応しようと努めても無理なのはわかるが、橋本氏は『あまりこういう考え方はしないみたいだが、今度の大震災の場合、被害対策の司令部であってしかるべき東京が結構な揺れ方をした−それがために、足元の定まらない不安定さで、この大震災を迎えていたような気がして仕方がない。自分の経験した揺れを反芻しながら、被災地の惨憺たる映像を見て、余分な不安を増殖させているような気がするが、そんなことをしていても仕方がない。』

花


 実は、国のトップを含め躁状態であったのは、ある程度やむを得ないとしても『東日本大震災の復興構想会議という悠長な名前の諮問機関は、「なにをどうする」の前に、まず「復興資金はどうするか」を考えて、増税というプランを打ち出そうとした。目の前に大惨事が広がっているというのに、まず金の計算をするなんていうことは、ありうるんだろうか?もういい加減、なにかというと「経済」でソロバンをはじくのはやめないか。』

花


 人をいいようもなく不愉快にする違和感は、こういうことだったのだろう。
 今後の『日本の困難というのは、二酸化炭素の排出量を減らし、原発を造って電力の供給量を増やすということもせず、それでも「工業国」として成り立っていて、第一次産業とのバランスが取れていて、国土が疲弊せずにあるという、近代以降、世界のどこの国でもやったことがないことを実現させる−それ以外に復興の道はないということだ。』

花


 同書「無力者の視線@南 直哉」の締めの言葉。『我々は今、この大震災後の生を受け容れるべきである。いままでとは別の存在の仕方を、決断すべきである。仕様がないなあ、と低く呟いて、それでも、立つべきなのである。』
 

posted by 工房藤棚 at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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