2012年12月04日

その時までは高枕。

 
 何があっても、「その時までは高枕」では如何にも呑気過ぎるだろう。老朽化というのは、都合が良い言葉でもあるが、それだけで免罪符になるわけではないから、実は厄介な問題である。

富士 須走


 本当は、何から何まで老朽化している。人は勿論であり、信長の人生50年の時代でも人は草臥れていた。そして今、人が、設備が、制度も、意識も、それから規範さえも。

紅葉様々


 まさか、と言うが、1トンものコンクリート板を何百枚も天井に吊っておいて、まさか、はないだろう。落ちるまでは、まさか、か。

浄蓮の滝


 当然ながら、これからも橋は落ちる。ダムは決壊する。トンネルは崩落し、高架道は崩れる。高枕は許されないのである。まさか、では真っ逆さまだろう。地道な管理以外に道はない。
 

posted by 工房藤棚 at 19:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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