2009年03月23日

寂寞とした喪失感を乗り越えて。


 「預金と違って、株をやってるというと田舎では怪しい」と麻生総理が発言したそうだ。 その上「『株屋』っていうのは信用されないんだ」と述べたと報道されている。
 何ら不思議でもない。当然では無くとも違和感はない。

 我が山本夏彦翁の『「夏彦の写真コラム」傑作選A 阿川佐和子編』@新潮文庫より。

「晴れていま私は笑う」
『私は利殖に暗いがネーミングには敏感である。野村證券と聞いても株屋だなと翻訳する。株屋なら悪事を働くにきまっている。大蔵省は三十三年前山一證券をつぶせばよかったのにその機会を逸した。あのころはまだ世間は株屋だと思っていた。山一は証券会社は銀行と同じ一大金融機関だと言いはった。山一をつぶしたら大恐慌がおこるぞと低頭しながら脅迫して助けさせた。』

「なぜつぶれたか山一證券」
『証券会社なんて堅気の一流企業だと思うのが間違いで、あれは株屋だと私は何度も書いてイヤな顔をされた。』
『金銭というものは清く正しいものではない。邪悪な暗いものだから株屋は当然あっていい。ただそれには相応の差別があるべきだ。』

 寂寞とした喪失感を乗り越えて。

「死ぬの大好き」
『この世は生きるに値しないところだと私は子供心に天啓に打たれたから以後人間の見物人になったのである。傍観するものはつまびらかなりという箴言があるが、見れば見るほど人間というものはいやなものだなあ。』

   歩む。

 けれども、1、2! 1、2!と歩むしかないのである。

posted by 工房藤棚 at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山本夏彦

2009年03月09日

「久世光彦vs.向田邦子」vs.山本夏彦。

 
 「久世光彦vs.向田邦子」という本が出版された。朝日新書で、著者は小林竜雄氏。2009年2月28日発行であるから、本当の新書である。

メジロ1
 
 久世光彦vs.向田邦子。
 久世光彦氏が、向田邦子さんと濃密な関わりで、数々の名作を残したのは有名である。今回、初めて知ったのだが、向田さんは、かの「時間ですよ」にも脚本家として参加していたという。久世氏の誘いである。

 それらの前後を、本書で詳細に述べられているが、それはもう随分と昔の話となってしまった。

メジロ2

 向田邦子vs.山本夏彦。
 山本夏彦翁が、向田邦子さんの「父の詫び状」を早くから絶賛した話は結構知られている事実である。

 「夏彦の写真コラム」で自身が書いている。
 昭和58年7月28号の「三度めの夏がくる」では『向田邦子のお母さんは健在で、私が生前の邦子を、「彼女は突然あらわれてほとんど名人である」と書いたのをおぼえていて、新刊が出るごとに送ってくれるので、そのつど胸中を察するのである。
 向田邦子が不慮の死を死んで三度目の夏がくる。』
 三年経とうとする夏に、また哀悼の意を表しているのである。

メジロ3

 久世光彦vs.山本夏彦。
 平成10年11月に、久世光彦氏と山本夏彦翁は共著で「昭和恋々−あのころ、こんな暮らしがあった」を出版した。
 その序文で、久世氏はこう書いている。
『私が五十歳を過ぎて、何を今更と言われながら、ものを書きはじめた動機の一つに、向田邦子への嫉妬いうのがあった』。
 その嫉妬と彼女への拘りが、本書「久世光彦vs.向田邦子」の全てであり、その人間模様が微妙であり絶妙である。

メジロ4

 この「昭和恋々−あのころ、こんな暮らしがあった」は面白い本で、単行本は清流出版株式会社で、文庫本は文藝春秋である。

メジロ5

 その感想を書いたものが、「山本夏彦の本 つかぬことを言う」にあり、久し振りに読み返した。感傷的過ぎる嫌いはあるが、やはり、その久世氏の言葉にはインパクトがあり、少し長いが掲載する。

メジロ6

 『「はじめに−昭和変々(へんぺん)」は久世氏らしい文章で、向田邦子さんとの話しは興味深い。しかし、真骨頂は次の『たぶん私たちは、昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない。もしかしたら、それは途方もなく大きな忘れ物だったのかもしれない。《文化》なのか、《教育》なのか、あるいは《精神》とか《魂》とかいうものなのか−それはよくはわからない。』と言い、『あのころを想うと心が和むが、いまに還ると胸が痛む。』と続ける。これは年を経た人の警句である。危機感が滲み溢れ、最後には我々の今を『恵まれ過ぎて、安逸を貪るのに慣れ、いつか馬鹿になっていく不思議な《平和》』と憂う。まさしく「オーイどこ行くの」であろう。
  第一部の山本氏の分では「アパート」が出色である。『ある日一階の住人が珍しく窓をあけ放っていたので、通りすがりに見ると、引越の荷が出来て車が来るのを待っているところだった。老夫婦だった。男は三つ揃の背広を着こなして人品いやしからぬ人だった。夫婦はこの四畳半に何年いたのだろう。寄る年波でとうとう郷里に帰ることにきめたのだろうか、立つ鳥はあとをにごさないという。塵ひとつとどめていなかった。』
 絵が浮かび切ないのである。遠く過ぎ行く昭和に無常を覚えるのである』。

posted by 工房藤棚 at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山本夏彦

2009年03月04日

文藝春秋の月刊誌「諸君!」休刊。

 
 昨日の「asahi.com」のニュース。
 『保守系の代表的なオピニオン誌である月刊「諸君!」の休刊を、発行元の文芸春秋が決めた。5月1日発売の6月号が最終号になる。

 同誌は69年5月の創刊。看板雑誌である月刊「文芸春秋」の兄弟誌的な位置づけで、右派論壇を支える存在だった。福田恒存、山本七平、江藤淳、林健太郎の各氏らが論陣を張り、巻頭の「紳士と淑女」、巻末に置かれた山本夏彦氏の「笑わぬでもなし」の両コラムも評判になった』。

 「諸君!」から、巻末の山本夏彦翁の「笑わぬでもなし」の連載が無くなり、それからは段々と遠ざかっていった。
 「諸君!」の隆盛には、山本夏彦翁のコラムも多大の貢献があり、巻頭で切れの良かった「紳士と淑女」とそれは双璧であった。
 けれども、こうして休刊が決まると寂しいものである。普通、雑誌の休刊は廃刊である。

開花間際

 時代の流れである。残念であるが、仕方が無い。しかし、もう月刊誌が生き残れる余地は少ない。
 週刊誌も危ない。「週刊現代」には、もう往年の勢いはない。「週刊ポスト」も微妙であろう。かっては、月曜日の朝刊3面下段は両誌の広告が指定席であった。それが、今購入している新聞では、もう「週刊現代」の広告は見あたらない。「週刊ポスト」のそのスペースは半分である。
 その上、そこに前と同じ内容を詰め込もうとしているので、もう中高年者には読めない文字サイズである。主な購入者が読めない文字まで使って、どうしようかと?。

 その新聞も、本当は危機的な状況であろう。だって、その広告、かなりのスペースが、自社広告か公共広告なのだから。
 それでは儲からないだろう。しかし、だったらどうする!が見えてこない。多分、今までの経験則では解決法は見つからない。

 携帯電話を使いこなしている青少年の、主な用途はメールであるらしい。音声でのコミュニケーションは多くないと聞く。それであったら、文字文化だ。
 けれども、月刊誌も、週刊誌も、新聞も経営が難しい時代だと当事者達は立ち尽くし、光明を見出せない。

 一時は、「文藝春秋のオピニオン・リーダー誌」を謳い、勢いのあった月刊誌「諸君!」の休刊は、一つの時代の終焉を象徴しているのだろう。

posted by 工房藤棚 at 21:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 山本夏彦
                                       .
Logo