2019年06月26日

 中川家の矜持。


 中川 礼二
 「我々はそういう所に行かなくていいぐらい売れたいと。そう思っていたからね」。
 中川 剛
 「ウチらは若い頃から頑なに、そういうのには行かなかったから」。

浅間神社

 類は友を呼ぶ。

掛川花鳥園

 中川家の屈折を越える清々しさの真骨頂である。

階段

 怪しくても金を欲しがる輩を同じ臭いを感知して誘う。察する者は察する。嘘を言い張る。バレるまでの虚勢。気が付けば薄汚い乞食。

秋葉神社

  再度言う、類は友を呼ぶ。
 

posted by 工房藤棚 at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

2018年05月16日

 ぼんやりとした人達と卑怯な人達。


 ぼんやりとした人達は、新しい政党「国民民主党」。
 ぼんやりとした輩が、ぼんやりとした意図で、ぼんやりと集い、ぼんやりと立ち上げた、悲しいほどぼんやりとした新しい集団。立ち上げた瞬間に、その他の党より、鮮やかにぼんやりとした希有な存在感。

伊古奈比当ス神社

 卑怯な人達は、日大アメフト部。
 「当然ですけれども、監督やコーチがああいったプレーを指示した事実はありませんし、それはありえません」、「あくまでプレーは瞬間的なものですので、こちらとしては、今回の件は偶発的なアクシデントだったと認識しております」。
 後の歴史的な日大大没落のきっかけとなる出来事である。

伊古奈比当ス神社

 とにかく薄汚ないのが辛い。爽快感とは対極が厳しい。正義とは程遠いのが切ない。
 

posted by 工房藤棚 at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言

2018年04月19日

 腰の曲がった老婆と洟垂れ小僧。

 
 昔はたくさんいて普通の風景であったのだが、腰の曲がった老人と洟を垂らした子供を見かけることは希になった。

東大寺

 色々と不満はあるのだろうが、現代の日本は本当に良い国だ。昔の人の年寄りがあんなにも腰が曲がってしまったのはどんなに体を酷使した結果だったのか。洟垂れは栄養や衛生環境が悪いことが原因だったのか。今の我が国の普通の人の普段の生活は、江戸時代の殿様さえ望むこともしなかった贅沢で極楽であろう。

東大寺

 幼児をタブレットであやし、小学生が電気仕掛けのゲームを操り、大人は片時もスマホを離さない。けれども、その怖さを実感し、その害に慄き、その深刻さを悟る時、人は真っ直ぐに進化するわけでないことをようやく理解する。

東大寺

 生まれた時からテレビを観てきた今の人達は、ようやくテレビを捨てて、新しい宝物を手に何処へたどり着こうとしているのだろうか。
 

posted by 工房藤棚 at 22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言
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